<< 「夜のたわごと」(「はなうたう」ネタバレ小話) | main | 6月20日「はなかおる」発売します。 >>

「一瞬の花」(過去見+老 小話)

 唐突に、シグマと老の小話なぞ。
 「幻術の迷宮路」その他もろもろ関連のネタバレ話です。


 カリアラカルスという人は、時々、何もないのに笑っている。
 それは勝手に入り込んだシグマの部屋の窓辺に腰かけて、何があるわけでもない階下の庭を眺めている時だったり、部屋の隅にぴったりと寄りかかって眠ろうとする一瞬だったりする。
 とりとめなく浮かんでは消えるあぶくにも似た微笑みは、単なる思い出し笑いなのかもしれない。だがそう片付けるにはあまりにも淡く、はかなく、それでいて見てしまった者の時間を縫いつけて止めてしまうくらいには特別なものに思えて、シグマは固まった姿勢のまま、ためらいつつも口にした。
「あの。……なんで笑ったんですか? 今」
 窓辺に座るカリアラは、視線を空からシグマに移す。
 その顔はいつも通りの完全なる真顔で、眼鏡の奥の丸い目は、きょとんとしているようにも取れた。
「あ、いや、気づいてなかったんならいいんすけど。その、時々、ふっと笑う時があって……なんか、気になってたんで」
 痛いほどの視線を感じて、妙に言葉が上滑りする。シグマはまるで自分が虫眼鏡に集められた日光で焼かれる紙か、蟻になった気がした。
 カリアラは一つうなずく。
「うん」
 それはとても簡単で意外な答えだった。
「笑った」
 シグマは思わず顔を上げた。何を言っているのかと、逆に尋ねられるものだとばかり思っていたのだ。カリアラの表情が変わるのはほんの一瞬のことだったし、本人もすぐにその理由など忘れているはずだと思っていた。
「なんでお前が変な顔をするんだ。俺は笑った。多分、今日はこれで三回目だ」
「そんなに!?」
「お前に見せるために笑ったわけじゃないからな」
 それは確かにそうだろうが、なんだか話がよくわからなくなってきた。
「えっと……なんでしたっけ。なんの話をしてましたっけ」
「俺がなんで笑ったのか、お前が理由を訊いたんだ」
「そうでした。うん、そうでしたよ」
 人間がいかに予想外の答えに弱いかを思い知らされた気がする。
 改めて目をやれば、狼狽していたのはシグマだけで、カリアラは常にいつも通りだ。
 特に訊いてはいけない質問でもなかったらしい。当たり前のように答える。
「お前が前に見せてくれた家系図。あれを思い出すと、俺は笑ってしまうんだ」
「家系図?」
 疑問系で言ってはみたが、それが何かは知っている。
 以前、シグマの実家の倉庫の置く、深く閉じられていた資料室の片隅に、その古臭い紙は遺されていた。これまで誰にもかえりみられることなく放置されていたそこには、シグマたちの一族が、故郷の地に足を下ろしてからの家族の名前、そして生没年が記されていたのだ。
 その中に込められたたくさんの情報に、カリアラは号泣した。
 このままでは涙が尽きてしまうのではと心配するほど泣いて、泣いて、ふらふらになって、最後にはこっとりと倒れてしまったのだ。
 あれからしばらく経っているが、だからといって、どうして涙が微笑みに変わるのだろう。
 疑問を抱えたシグマの目つきを受けて、カリアラは答えた。
「あいつが、長生きしてたから。それを思い出すと、俺は笑うんだ」
 カリアラが言っているのは、家系図の始まりにいる一人の男のことだった。
 彼は何百年も昔にカリアラと関わりのあった人物だ。具体的にどんな関係だったのかはよくわからない。カリアラはその男のことを、部下だったとも、師匠だったとも言い、はたまた敵だったとか憎んでいたとか、どうしても倒せずに悔しかったなどと言っているのだ。
 その男について語る内容はいつも憎らしげで、だがそれでも言葉にならないぬくもりが、カリアラの口元にふっと漂っていた。
 シグマは、もう自分ではうろ覚えな家系図を思い出そうとする。
「確か……」
 だが、具体的に何歳だったか思い出せない。その時代の人にしては驚くほど長く生きた印象はあるのだが。当主なのにわからないシグマと違って、カリアラは簡単にその年齢を口にした。
 その口に、また、淡い微笑みが浮かぶ。花びらをついばんだかのように。
「たくさん生きたんだ。あの後も、何十年と生きてくれた。それだけで、俺は嬉しい」
 あの後、が何を意味するかに気づいて、シグマは言葉に詰まってしまう。
 カリアラこそ“あの後”に、何百年と生きなければならなかったのに。
「……本当は、俺は喜んじゃいけないんだ。わかってる。俺は、あいつに酷いことをした。あんな、馬鹿みたいに忠誠だけで生きてきたやつを、守ることだけが生きる理由だった男を、たった一人で外に出した。一番身代わりになりたくて、一番誰かのために死ぬはずだった人間を、俺が、外に追い出したんだ」
 そして皆死んでしまった。残されたのは、壁の中のカリアラと、外に出された男だけ。
 越えられない壁の中と外で、二人は完全に隔たれたまま、それぞれの人生を送った。
「でも、あいつは外で長生きしたんだ。孫も、ひ孫も見ることができた。苦しかったはずなんだ。記憶を失くしても、意志はどこかに残ってる。わけもわからない焦燥と後悔に苛まれて、最期まで苦しんだだろう。俺がそう仕向けたんだ。酷いだろう?」
 シグマは、何故かミハルを思い出していた。
 彼女は幼い頃にカリアラと暮らしている。だが壁の「外」に出され、「中」に関する記憶を一切失った。だが大人になるまでずっと、何かを忘れている、早く助けに行かなければと、得体の知れない恐ろしさに取りつかれていたのだ。
 ミハルはカリアラと再会することでわだかまりを解くことができた。
 だが、最期まで記憶を取り戻すことができず、子孫に託すしかなかったその男は、どんなに辛かっただろう。
 カリアラはその苦しみを誰よりもわかっているはずだ。
 彼自身、全てを抱えて生きていたのだから。
「だけど、嬉しいんだ。生きていてくれたことが。あいつが何年生きたのか考えるだけで、それだけで、俺は、生きていられるんだ」
 酷いな、俺は。そう呟いた口元がまたほころんで、カリアラはぐしぐしと顔をこする。
 だが抑えきれないぬくもりが肌に漂っていて、シグマは複雑な顔色で、窓辺に咲く一瞬の花を眺めた。

[おわり]

at 00:54, 古戸マチコ(こと・まちこ), 人なる・過去見・ハヴリア

comments(0), -, pookmark

comment