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「ゆるしのうたげ」(うたう鳥のよる番外編)

 「うたう鳥のよる」の番外編を書きました。
 ネタバレ有りな本編後のお話ですので、「うたう鳥のよる」読了後にどうぞ。

 「幸せにしてあげてください」とよく言われるファルを幸せにしてあげたらもっと可哀想なことになりましたというお話。あとアランとリヤーフはなんだかんだで仲良しですよね。なんか。

 それでは、続きを読むからどうぞー。



古戸 マチコ
一迅社
¥ 620
コメント: ネタバレがありますので、未読の方はお先にこちらの本編をどうぞ。

『ゆるしのうたげ』


 脈々と続く白い線が、家の中を分断している。
 シエラは部屋の中央に引かれたそれをうっかりと踏まないよう、気をつけながら台所へと向かっていた。だが途中でちらりと視界の端に、銀色の光が見える。振り向いてはいけない、見てはならないと思いながらも、どうしても見ずにはいられなかった。
「……リヤーフ」
 名を呼ぶと、髪を切って随分と男らしい外見になった彼は、白い線の向こう側で整った造作を華やかにほころばせる。
「シエラ! どこに行くの? ついて行ってもいい? いくよ?」
「……線は越えないでね」
 リヤーフは飛び上がってシエラの側に寄ろうとしたが、彼と彼女の間には白くて長い線がある。シエラの父が険しい顔つきで家中に引いたそれは、『男どもはこちら側、俺の可愛い宝石はこっちの広くて便利な方』と、あまり広くもない家の中を男女別に区切ったものだ。
 ハレムからの客人を自分から「徒弟」などと呼んでおいて、父はリヤーフがシエラにしょっちゅうまとわりつくとわかった途端に顔つきを変え、彼が娘に悪さをしないよう暇さえあれば説教をするようになったのだ。
 とはいえ、もちろんリヤーフはそんな話など右から左に流してしまい、くどくどと言い説かれている側からシエラを見ると満面の笑顔で駆け寄ってしまうのだが。
(でも、ちゃんと線は越えないんだよね)
 リヤーフは今も白い線の縁ぎりぎりに立ち、いかにも飛び越えたそうな顔で向こう側のシエラを見る。彼は許可が出るまでは、言いつけをしっかりと守るのだ。
「シエラ、今日は何をするの? 僕はどうすればいい?」
「別に一日の行動をあたしに決めてもらわなくてもいいんだけど……これから台所に入るから、そこで待ってて。ファル、いるー?」
 狭いそこは男女を分ける余裕もなく、今や完全に父かファルの領域となっている。シエラはひょこりと覗き込んで、思わずおかしな声を出した。
「うえっ?」
 それに応えたファルの声はほがらかだ。
「ただいまー」
「おかえり。どうしたのこの量」
 彼女はよいしょっと最後の荷を運び終えると、荷車を引いてくれたらしき青年に手を振って帰らせている。明らかにファルともう少し一緒に居たそうな見知らぬ彼のことはともかく、シエラは台所いっぱいに並べられた野菜の森と肉の山が気になってしかたがない。
「これは今夜の宴会用。歓迎の宴をするから買い込んで来てくれって、親方が」
「歓迎の宴?」
「そう。予算は普通だったんだけど、市場の人もみんな妙におまけしてくれて。おかげでこんな量になっちゃった」
「あー。……うん、わかる」
 ファルも一応はヴェールを被って買い物に出かけたようだが、暑くなったのか顔も体つきも堂々と晒してしまっているのだ。異国から来た可愛らしい下働きの娘が、市場の男たちの相好をことごとく崩す様子がありありと想像できて、シエラは何も言わずファルのヴェールをかけ直した。
 シエラは台所に積まれた食材を掻き分けるようにして歩き、突き当りに並ぶ壷を覗いて気づく。
「あれ、お酒買ってきちゃったの?」
「うん。だって宴だからね」
 ごく当たり前に言うが、それは西欧もしくはハレムでの常識である。
「えーと、一応この辺の戒律ではお酒は禁止されてるから」
「あっそうか! 完全に忘れてた」
 ハレムの中ではごく普通に酒が嗜まれていたし、咎める者もいなかったのだ。しかし世間から隔離された後宮の中ではともかく、一度外に出たからには宗教的な常識に縛られなければならない。
「うちはあんまり真面目に教えを守ってるわけじゃないけど、どちらにしろお父さんはほとんどお酒が呑めないからね」
「あんなに呑めそうな顔してるのに?」
「あんなに呑めそうな顔してるのに。お腹が出てるのは単に甘いものの食べすぎだから」
 父は商人時代に船上の付き合いでいくらか呑んではいたそうなのだが、ちっとも強くならなかったと口ぐせのように言っていた。
「そうか、ごめんね。……あれ? でも店で普通に売ってたけど」
 不思議そうな顔をするファルに、シエラは気まずく目をそらす。
「うん、あるところにはあるんだよね。それあんまり外で言っちゃだめだよ」
「えっなんで!? 何かまずい所に触れた!?」
「『異教区まで迷い込んじゃって、見た目からして西欧人だし普通に買えちゃいましたぁ』とか言っておくんだよ。店の名前とか喋ったりしないようにね」
「なんかやばい店だったの!? そうなの!?」
 動じる彼女をさりげなく流しながら、シエラは酒壷に手をかけた。シエラの父はよほど呑みそうに思われていたのか、結構な容量のものが二つもある。
「これ、どうしようか。おすそ分けもできないし、誰か呑める人がいればいいんだけど」
 ちらりと銀色の照り返しが目の端で輝き、リヤーフが顔を出した。
「シエラ、用事は終わった? もうこっちに来てくれる?」
 同時に外でばさりと鳥の羽音がしたかと思うと、素早く人の姿に変わったジンが勝手口から入ってくる。
「おーい、親父さんから『実家で兄貴の説教に捕まったから、帰りは遅くなる』って言付けの文もらったぞ。あいつ俺のこと完全に伝書鳥か何かだと思って……ん、なんだ?」
 意味ありげなまなざしを送るシエラとファルに、ジンもリヤーフもわけのわからない顔をする。
 シエラは壷になみなみと注がれた酒と、状況のわかっていない男二人を交互に眺めた。

           ※ ※ ※

 ひっく、ひっくと小刻みなしゃっくりが真昼の部屋に響いている。
 ファルはすっかりと赤くなってしまった顔で、よろよろとジンを殴るふりをした。
「もーなんだよーこのバカ鳥がー」
 もちろん部屋の中央に引かれた白い線で男女の場所が分けられているのだから、ほのかに桃色に染まった腕がジンに届くはずもない。そもそも当たったところで痛くもかゆくもないであろうそれを酒盃片手に眺めながら、ジンはさらに煽っていった。
「よっ、いいぞー。なんだ文句があるならもっと言えー」
「おーぼーなんだよおまえはよー! 人のことにんげん扱いもしてねーよなー!」
「おうおうそれだけか? もっともっと!」
「ばーかばぁか、いじめ鳥ーっ!」
 ひっく。とまた息が止まりそうなしゃっくりにがくりと体を揺らすファルは、どうやら相当に酒癖が悪いらしい。初めこそ「私は呑めないの」と杯を辞退していたのだが、間違って買ってきた責任を持てとジンにけしかけられて一気飲みをして以降、坂道を転がり落ちるがごとくに暴走を続けている。
 ぐらんぐらんと前後に振れるファルをどうしていいかわからないまま、シエラはとりあえず水の器を差し出した。
「ファル、ちょっとこれで体を休めた方が……」
 さっきから彼女は呼吸のごとく酒を呑み続けているのだ。おかげで酒壷は既に一つ空になった。あと残り一壷分、彼女は泥酔を続けるのだろうか。
 差し出した水を一気に飲み干し「ぷはあーっ」と雄々しい声を上げると、ファルはいきなりシエラに抱きつく。
「ひゃあっ!?」
「もーなにそのかわいい声! はー、ちょうどいい大きさだなー。ぎゅってしちゃうよ、ぎゅって」
「く、くるし……ファル、胸が」
 頬にたっぷりとした熱と質量を感じて、シエラはぐっと息を詰める。身をすくめる彼女の体をますます小さくせんとばかりに、ファルはたっぷりとした胸をシエラの顔に押しつけて、潰しそうなほどに抱きしめた。
「もー、シエラはかわいーなー! えへへへへだいすきー!!」
「うう……」
 うっすらと汗の滲む熱い弾力に挟まれて、シエラは恥ずかしさと苦しさにどうしていいかわからなくなる。
「シエラも呑みなよー。たーのしーいよー?」
「駄目だよ、多分あたしも強くないし」
 たとえ強くともファルの様子を見ていたらとても呑む気になどなれないのだが、彼女はシエラが逃げようとするのをさらに強く抱きしめて、杯を振り上げる。
「呑んでみなきゃわからないぞぉー。ほら! 呑まなきゃ口移ししちゃうよーん!」
「ちょ、わかった呑むから! だからそういうのはだめー!」
 ファルが思いきり酒を口に含んでシエラに顔を近づけたところで、首筋にちりりと視線を感じる。おそるおそる目をやると、白い線の向こう側でリヤーフがこちらをじっと見ていた。
「り、リヤーフ?」
 整いすぎるほどに整った顔に何一つ感情らしき歪みを浮かべず、彼はただ作りもののようなまなざしで、じっと、シエラとファルを見つめている。そして瞬き一つしないまま、彼はものすごい勢いで杯の酒を飲み干していた。白くなめらかな喉がごくごくと濁った音を立てる。
 悪いことをしているつもりも気を遣う義理もないはずなのに、シエラは居たたまれなくなって答えた。
「……えっと、女の子同士だからね?」
 リヤーフが喉に運ぶ酒の量がたちまち二倍速になる。隣でジンが頬を笑みに歪めながら、絶妙な調子で酒を追加した。そんなに呑んで大丈夫なのだろうかと心配になるが、リヤーフは先ほどからこの調子で呑み続けているのに、頬すら赤らむきざしがない。
 リヤーフは何十杯目かになる酒を飲み干すと、じっとシエラを見つめて言った。
「僕はそこに行ってはいけないの?」
「う、うん……決まりだし」
 本当は父が決めた規則などよりも、ここでリヤーフを近づけたらどんなことになるのかが恐ろしくて許可できないのだ。リヤーフは苛立ちも落ち込みもせず、ただひたすらにシエラを見つめたまま、白い線ぎりぎりの縁に座っていた。
 そうしている間にも、ファルはいきなりシエラを膝に抱き上げる。
「ひゃあっ!? ちょ、ちょっと……」
「もーシエラ軽すぎ! もっと食べなきゃだめでしょー。はい、あーん」
「いやそれお酒だからー!」
 至近距離から杯を押しつけられて、シエラはどこを見ればいいのかと目線をさまよわせた。ファルの膝はやわらかく、もし無機物であれば心地よく座っていられただろう。だが人の上に載せてもらっているという申し訳なさが、シエラの身をすくませる。
「そんなに緊張しなくてもいいのー。酒は薬になるんだから、呑まなきゃだめー。今すぐ呑まないなら口移し……」
「の、呑むよ! 呑むからっ!」
 ファルはいかにも残念そうに口を尖らせると、改めましてと言わんばかりに杯の縁をシエラに向ける。シエラがふと横に目をやると、やはり、リヤーフが無言で酒をあおりながらじっと二人を見つめていた。
「ほら、よそ見しない」
 やわらかなファルの手がシエラの後頭部を支え、強制的に彼女の方を向かせる。
 体中をリヤーフの視線に炙られながらも、シエラはもはや逃げ場などなく、唇に押しつけられた杯の端を噛むようにして酒を呑んだ。
「う、うう……」
 ふわりと顔が熱を持つ。まだ一口しか体に入れていないはずなのに、もう手足がふわふわとする。氷室でワインに溺れた時は緊急事態で体が警戒していたのだろうか。今も相当に緊張しているはずなのに、体の硬さはぐらりぐらりとほぐれていった。
「楽しい気持ちになってきたでしょ?」
 熱に染まったファルの顔や透き通る青い瞳、「はい、あーん」と開くふっくらとした唇の赤さが妙に目についてしまって、シエラは膝に乗る足も彼女の手に包まれた頭もどこもかしこもファルの匂いに包まれたまま、ぐるぐると目を回した。
 ちょっとした肌の触れ合いなど、ドルニアで慣れているはずなのに、こんなにも汗をかいてしまうのは何故だろう。あまりの緊張と恥ずかしさにぼんやりとした後で、シエラはハッとリヤーフに叫ぶ。
「お、女の子同士らからね!!」
 もう既に舌が回っていないのが恥ずかしくてしかたがない。リヤーフの視線から逃れたくてぎゅっとファルに抱きついたところで、ジンが笑いの息をもらした。
「女の子同士ねぇ」
 にやにやと酒をあおる彼は、いかにも面白げにファルを眺めている。
「っかー、酒がうめえなこりゃ。おらもっとやれー!」
 彼はこの宴が始まった当初から、並べられた簡単なつまみ料理よりもむしろ他の面々を肴にして愉しんでいるのだ。リヤーフに負けずジンも相当な量を呑んでいるはずだが、ほのかに顔が赤らむ程度でまったく弱る気配はない。
「もー、シエラかわいいかわいい! あいしてるー!」
「そそそんなとこ触っちゃだめー! ふわあー!」
 リヤーフは騒ぐ二人を相変わらずの無表情で見つめつつ、壷を空にしそうなほどの勢いで呑み続ける。
 酒豪の男二人とへろへろの女二人を白い線で分けながら宴はさらに深まっていき、陽がすっかりと傾く頃にはシエラは完全に酔いつぶれて眠ってしまった。

           ※ ※ ※

 胸の詰まるような息で目が覚めた。ファルは妙に騒がしい鼓動に突き動かされて、重い頭を上げようとする。だが鈍く痛むそれはなかなか上を向いてはくれず、何故だか腕も上がらなかった。
 まともに動かない体を見下ろしたところで、心臓が止まりそうになる。
 横たわりだらしなく投げ出した腕の中には、体を丸めたシエラが収まっていたのだ。
「なっ、なな、なっ」
 しかも眺め下ろした限りでは自分の胸板は平たい男のものになっていて、小さく丸めたシエラの手足がますます小さく見えるほどにたくましい腕に戻っている。
 ファルの、……いや、アランの腕の中でシエラはすやすやと眠っていた。
 絶句するアランの脳裏に眠る前の光景がとてつもない速さで駆け巡る。どうせならいっそ忘却してくれたらいいものを、どんなに酒で失敗しても、彼の記憶はむしろ平常時よりも鮮やかに甦るのだ。何度も繰り返してきた失態の中でも最大級のものを抱え、アランは声なき悲鳴を上げてうずくまった。
 すると眠るシエラをますます強く抱く格好になってしまい、慌てて飛びのく。絨毯敷きの床に投げ出された彼女は幸いにも目覚めることはなく、かすかな声を上げただけでまた深く寝入ってしまった。
「ご、ごめんなさいごめんなさい……っわあああ!?」
 不意打ちの恐怖につい悲鳴を上げてしまう。
 すっかりと暗なった部屋の中、月明かりに白く浮かぶ線の向こうから、リヤーフが身じろぎもせずじっとアランを見つめていた。睨むわけではない。悲しげに何かを訴えかける様子もない。彼はただ作り物のような顔で、まばたきもせずアランを見つめる。
「も、申し訳ありません……いやもうほんとごめんなさい……」
 リヤーフは酒宴からずっとその場で動かずシエラたちを熱視してきたのだろうか。
 アランは普段のリヤーフに対する様々な思いや腑に落ちなさをすべて忘れ、ひたすらに平伏した。
「も、もう二度とこんなことは……こんなことはいたしません……」
 もしかすると殺されるかもしれないという恐怖よりも、申し訳なさの方が勝っている。
 だがリヤーフはにらむでも責めるでもなく、ぽつりと、言葉を落とすかのように呟いた。
「替わる」
「へ?」
 床から顔を上げたアランに、リヤーフは一音ずつ叩き込むように告げる。
「僕は、そこを、替わる」
「確定なんですね……」
「だからここを越えてもいい?」
 アランは目を丸くした。こんな状況でも彼は、シエラの父に言いつけられたことを守っているのだ。振り向けばシエラは穏やかに眠っていて、リヤーフはもはやアランを通り越してシエラばかりを見つめている。酒宴が始まった頃よりもさらに以前、家中に白い線が引かれた時から彼は許可を待ち続けているのだ。
 喉の奥を絞られたような気持ちになって、アランは途切れ途切れに尋ねる。
「……触らない、です、よね?」
「触らない。それは許可されてないから」
 この男はどうしてこんなにも律儀なのだろうと思いつつ、こんなことを代わりに言ってもよいのだろうかとも迷いながら、アランは独断でそれを許した。
「じゃあ、今だけなら」
 言い終えるかどうかのうちに、リヤーフは線を飛び越えている。あれだけ呑んで、しかも姿勢を崩さず座ったままでどうしてそんな瞬発力がと思う間に、リヤーフは眠るシエラの側に膝をつき、じっと、子どもが蟻を観察するかのごとく彼女を見つめた。
「あの」
 声をかけても反応しない。彼の中には今やシエラしかいないのだ。
「シエラ」
 リヤーフが囁くと、シエラはぴくりと反応する。無表情で見つめていたリヤーフの頬に紅が差し、たちまちに目が輝いた。
「シエラ、シエラ、シエラ!」
「うーん……」
 うるさそうに寝返りを打たれるともはやたまらなくなったらしく、リヤーフは膝を抱えてごろごろと床を転がる。もちろん彼女には指一本触れず、ただひたすらに見るだけだ。
 アランは心の中でまだ帰宅していないらしきシエラ父に叫んだ。
(親方、許してあげて下さい……!)
 リヤーフがシエラと距離を詰めるのはよろしくないと思っていたのに、そんな姿を見せられたら、なんとかしてやりたいと思ってしまう。
(でも、俺がここで許可するわけにも……何をするかわからないし)
「シエラ、シエラ! 僕だよ、リヤーフだよ!」
「ううん……うるさいよ、もう……」
 不愉快に皺を作るシエラの目がうっすらと開き、アランは慌てて部屋の隅へと逃げる。
 シエラはどうやら、真上からきらきらとした表情で見つめるリヤーフを見つけたらしい。とてつもなく嫌そうな顔をすると、「おいで」と片手を伸ばした。
「「え?」」
 アランとリヤーフの声が揃う。シエラは半ば目を閉じたまま、うんざりと腕を振る。
「そんなに見られてちゃ眠れない……ほら、おいで」
 動揺したリヤーフが助けを求めてアランを見るが、アランもどうすればいいのかわからない。部屋の中央と片隅でまなざしによるおろおろとした男同士の会話が交わされ、待たされて苛立ったのかシエラが強い調子で言う。
「いいから寝なさい! ほらっ」
 ばんばんと床を叩く彼女は実は相当に酔っているか寝ぼけているのではないだろうか。
 リヤーフはあまりのことにどこか泣きそうな目でアランを見て、ただ困惑に首を振るだけの彼からは何も得られないままに、おずおずと一歩ずつシエラの隣に近づいた。
 ごろりと、横になってみる。一応は距離を置いたつもりだが、シエラは迷わず近づいて、リヤーフの頭をぐいと胸に押しつけた。
 声にならない衝撃がリヤーフとアランを貫く。
「し、シエラ、それはちょっと……」
 部屋の隅からの囁きが彼女に届くことはなく、シエラは硬直したリヤーフの首を抱き寄せたまま、彼の後頭部をぐしぐしと撫でくり始めた。その乱暴な動きにあわせて、何やらか細い声を立てる。
「ねーむ、ねー、む。よるのー、とばりがー、おちー、てくるー」
 音階などわからないほどきれぎれに続くそれは、彼女なりの子守唄らしかった。
 昔からずっと従姉妹たちの面倒を見てきたと言うから、その癖が出てしまったのだろうか。シエラは相手が大人の男だとわかってもいない様子で、淡々とリヤーフの首筋を叩く。
「かもめはー、うみの、どうくつー、でー。ふくろうはー、もりの、おくー」
 頼りなく揺れる旋律は所々で消えてはまた立ち戻り、リヤーフはいつしか歌に合わせてうつろにまぶたを揺らしていた。
「ねーむ、ねむるーよ、とーり、たーち、はー……」
 おそらくは歌いきったところで、シエラは再び深い眠りに落ちてしまう。
 その頃にはリヤーフもすっかりと目を閉じて、シエラの腕に抱かれるがまま寝息もなく静かに眠った。
 固唾を呑んで成り行きを見守っていたアランが、ほっと息をつく。
 その途端に彼の肩には、どっかりとジンの腕が回された。
「さあて。夜はまだまだ始まったばかりだよな、アラン君?」
「え、いやちょっと……俺そろそろいつもの物陰に」
「何言ってんだ、延長だ延長。他から持ってきた酒もあるからよ、まだまだ呑むぞ」
「いやその、酒はもう」
 逃げようとしたアランを引き寄せて、ジンは耳元に囁く。
「あーんなことやこーんなことまでシエラちゃんにしといてよ。聞きたいか? ん? 憶えてることをわざわざ俺の口から改めて聞きたいよな?」
「ごめんなさいほんと許してください! やめてー!!」
 アランが涙目で叫んでも、深く寝入ったシエラもリヤーフも目を覚ます気配はない。
 ジンは暴れるアランをがっちりと押さえながら、にやにやと杯をあおった。
「いやあ、酒が旨ぇなあ」

[おわり]

at 11:54, 古戸マチコ(こと・まちこ), うたう鳥のよる

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