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本が本が資料が本が。

 本に埋もれています。

 いやこれまでだって埋もれてましたが、今回は過去最高に埋もれています。
 まあ時間と同じだけ蓄積されていくのだから、当たり前っちゃー当たり前ですが。
 とりあえず今回も、これまで何百回と繰り返した「本棚買う」「古本屋に売る」を延々と呟きながらさらに本に埋もれるのです。ええ、もうしょうがないんですこれはきっと。

 もうさ……わたし、少なくとも今年いっぱいは、新たに本を買わなくても充分に過ごせる量は積んでるぜ……?
 それどころか来年も大丈夫なのかもしれない。とか考えると恐ろしいです。だけどなんだかんだで追加しちゃうのよねそうなのよね。

 さてこの本の山、もちろん読むのが好きで集まってくるものなのですが、なんだかんだいってわたしも物書きですからね。資料も含まれているのですよ。
 いいやむしろ、「今すぐに書く話ではないけど、将来的に書きたい話に役立つから」と手に入れた本も多いわけです。
 というかほとんどそんな感じです。

 むしろ現在進行中の話のために買った資料も、「なんかないと心配だから」とか「買っておけば(読んでおけば)とりあえず一仕事した気持ちになるから」という理由で集まり、目下うず高く積まれていたりするのです。
 ど、どうせ何十冊と読んだところで、本文に活かせるのは数行なんだからなああ! とか自分に叫ぶ夜。
 使えなくてもモチベーションを上げてくれるという意味では資料。というか資料として使えなくても面白ければ良いじゃないですか。それが本というものではないですか。なんですかこの自分に対する言い訳の連呼は。

 まあとにかく意味があるんだか無いんだかわからない「資料」に囲まれていて、ふと考えました。

 もしわたしが何らかの事情で小説を書くのを辞めたら。
 それだけでなく、形にはしない妄想も一切ストップして、とても健全な生活を送ることになったら、わたし、これらの本を読むだろうか。

 そりゃ本自体は面白いので創作抜きにしても楽しめるでしょうが、元々、ネタになるかもしれないという理由で買った本。
 もしまったくの妄想なし創作なしの人間になり、ネタになるかどうかではなくて純粋に楽しむだけに、創作人ではないわたしが自ら進んで読もうとする本って、この山の中にどれくらいあるのだろうか。

 で、考えたんです。
 そしたらすぐに答えが出たんです。

 建築本だけは何があっても読み続ける って。


 ……建築しか残らんかった! 建築しか残らんかった!!
 これだけ色々読んでて結局は建築なのです。現在だってネタになってないし、これからも建築の話なんて書くつもりはないけど、建築の本だけは買い続け読み続けているのです。ものすごく純粋に、一読者として。

 ……なんでしょうかね、このむなしさ。そして若干の開放感。
 まったく創作しなくなったら、小説を100%読者目線で読めるようになると思うので(理論上は)、そのときは小説と建築の本で生きて生きたいと思います。ないけど。書かないのはともかく、妄想を絶つのは不可能だわー。(健康である限り)




 ところで最近、やっとブログを書いたと思ったら記事が長めのばかりですね。拍手レスする余力がなくなってしまう……。
 もっと気軽にブログを活かしていきたいものです。左下のつなビィはちょっと気楽ですが。

at 00:20, 古戸マチコ(こと・まちこ), 日常

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